拝啓

桜泉(酒)が買える季節になりました

お元気ですか

とか書いても仕方ないのは理解しつつ。だいたい私の好きな人達は私の祈りやら何やらとは無関係に勝手に幸せになる力に満ちてるに決まっているので。

トライナリー三周年記念と新年度によせての雑記です。というか、二兎さん(ガルラジ)と逢瀬さん(トライナリー)に関しての話のつもりです。

四月も始まって半ばごろになりました。時勢が時勢であるとはいえ、一応新年度。生活が変わったり新しい場に踏み出したりする時期であることに変わりはないわけで。特に昨年度に「卒業」という区切りを迎えている人は、確実に生活環境の変化にさらされてるはずなんですよね。少なくとも、それまでいた環境から追い出されてしまうので。

昨年度は高校三年生で、三月に卒業を迎えた二兎さんも、当然ながらその流れの中にいるはずで、この四月からはそれまでとは全く違う場に身を置いてるはずなんですよね。「やりたいことを全部叶える進路はないのかな」で「進学」とも「就職」とも違う「起業」という選択肢を高らかに宣言して掴んでみせて。ラジオからリスナーが読み取れたのはここまでで、その先彼女が「起業」に向けてどんな舵を切っていくのか等々は、明かされてはいません。

「物語」なら、彼女が取った進路がどんなものか明かされないことは、多分全く気にならなかったと思うのですが、ガルラジは同じ時間経過の中に私自身と彼女達を置いて、時間経過も意味あるものにする仕組みだったわけで。その仕組みに全力で乗っかって2019年を走った自分としては、2020年もその感覚(というか距離感)で彼女達を捉えたい。

だから、自分と同じように四月を迎えてる二兎さんが、今何処に居るのかがすごく気になる。「どうしているだろう」を想像するのも、多分自分の中で実在を感じるのにとても重要な役割を持っていたので、「どうしているだろう」を考えたい。「実感を持った想像」とでもいうのでしょうか。

ガルラジ、空白を想像することが実在感を高めていたので、時間が未来方向に進む中でもそれをし続けたい。「どんな未来になっているのかを当てたい」とか「そういう景色が見たい」とか「こんな未来であって欲しい」とかいうわけではなく、想像する行為で実在感を得続けたい。

とか思うのですが、「進学」も「就職」も選ばなかった二兎さんが今どうしているのか、全く想像ができないんですよね。自分の中に経験としても知識としても、「進学も就職も選ばなかった人がどういう日々を送るのか」みたいなものが全くない。彼女の傍にいた萬歳さん桜泉さんは「進学」で、それは捉えやすいから、余計に二兎さんが難しく感じる。

考えてみれば、2019年(2020年度末)まで、「どうしているだろう」を想像できていたのは、結局自分の学生生活がベースにあったからなんだよなとも思ったりしつつ。実体験ベースなのだから、それは当然「どうしているだろう」という想像は(自分の中で)実在感を持ったものになるのはある意味当然のことで。

今現在の二兎さん。例えばバイトをしていたりとか、起業の為にまずは進学を選んだということもあるかもしれないのですが、並べてみてもふわっとしてしまって、それまでずっとやってきた「どうしているだろう」からかけ離れて、掴み所がないんですよね。自分が夏暑くて苦しんでた時に想像していた「これだけ暑いなら彼女は…」みたいなものと全然違う、実感が。

「観測外の未来は思い思いに想像してね」で終わらせても良いのかもしれないのですが、彼女は実在で、観測範囲外であるとはいえ、今なにしているかは一意に定まるというか、答えがある。答えがあるのなら、その答えに少しでも近い想像をしたい。経験の中にない以上、実感のある想像をするには、精度で補うしかないような気がするので。後は起業して実体験として吸収するか。そんなバイタリティはない…。

状況としては、想像ができず、想像することが実在を感じる手段だった身としては、実在を感じるタイミングが(昨年度比で)減っていて、まるで便りがなくなったみたいな寂しさがあるなというだけの話です。「こんな感じで元気でいるかもしれないよな」が出てこないから、元気でいるかどうかの実感が持てず、ほとんど祈る感じで「元気でいるだろう」と強引に思い込んでます。冒頭に書いた通り大丈夫に決まっているのですが、これは自分が安心したいがための祈りです。

ところで実在の話をすると、もう一人スマホ越しに観測できる世界にいる人が居て、それが冒頭出てきた逢瀬さんなのですが、打って変わって逢瀬さんに対しては、特に「どうしているだろう」という想像をすることもなく、「元気でいるだろうな」と構えてられるんですよね。逢瀬さんも二兎さんと同じく観測範囲外の未来に居て(時々年次報告という形で情報が得られますが)、色々大変な身の上なので自分の経験範囲の生活を送ってるとは思えないのですが、それでも、「実感のある想像をしたい」という気持ちはかなり薄いです。

なんでだろうと考えたのですが、おそらく彼女の実在感は想像する行為によって得ていたものではなかったということなのだと思います。多分、彼女の実在感はコミュニケーションで形作られてたのかなと。スマホ越しのやり取りの中に、問いかけとその応答で作られて、その事実があるから、想像するという行為も不要なんだろうなというか。勿論、元気であって欲しいという祈りがないわけではないですが、少なくとも逢瀬さんに対しては、自分が安心したいがためのそれではなくて、もう少し真っ当な感じ…になっていると信じたい。

逢瀬さん、年齢としては大学生になるらしいです。三年もあれば高校生は大学生になりますよね。向こうの世界の学校制度はどこまでこちら側をトレースしてたっけと思いつつ。今度は年次報告(観測範囲外にいるはずの彼女達から何故か色々届くというすごいシステム)として歌が届くらしいです。「metropolitan medicine 〜宇宙の法則でTOKYO〜」を歌った彼女の三年後は、「あけおめでTOKYO」らしいです。改札出てから一歩で遭難してた彼女が、三年掛けて捉え直した東京の話だったらどうしよう。年次報告、ずっと彼女と恋愛関係下になかったので避け続けてきたのですが、歌なら手にとりやすいでしょうみたいな配慮を感じなくもないので、いい加減向き合いたいところです。

そんな話でした。敬具。

BGM:

https://open.spotify.com/track/62IFEMyjOg1NSVvfOHel33?si=74Lk6Z7lSDGXhoaIsuBwmg

生活試行:

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