「アイの歌声を聴かせて」雑感

思いつきで見に行ったら凄く気に入ってしまった。終了後はパンプを買いに売店に直行するくらい。好きな映画n個挙げてと聞かれたら、多分入れてしまうと思う。

https://ainouta.jp/

AIと人間による「幸せ」に関するミュージカル映画。ミュージカルなので、突然歌う。どんな歌かというのは、MVがあるのでそちらを参照。

「興味はあるけどミュージカルは苦手だしなー」と躊躇ってる人、「PVは好きだけどMV見て二の足踏んでる人」なら好きだと思う。頭から最後まで持ってる要素全部フル稼働で丁寧に気持ち良く終わる映画だった。

以下はネタバレを含みつつ、ただの殴り書き。

ミュージカル苦手で良かった

空気は読めない行動も読めない何もかも予測不能なロボットのシオン。突然歌い出す様子には「うわー寒い」みたいな気持ちがまず湧いたけれど、見ていく間に「ミュージカルの(どうしても発生してしまう)唐突さ」が「シオンの予測不能さ」として受け取れるお陰で、違和感自体ギミックとして処理できるようになっていて驚いた。サトミを初めとしたクラスメイトが振り回される気持ちに、自分が感じている違和感も綺麗に噛み合うというか。

歌うことだけではなく、突然バックに流れ出す音楽だって、機械同士の協調というところで説明がつくように出来ている。ピアノなら自動演奏で、手の込んだ楽曲ならスピーカーを乗っ取って。日常生活描写時点でかなり「そういうことできそう」ということを描いてからの展開なので、これもこれでちゃんと噛み合う。

そういうギミック的な理由と説明のつく仕組みのある舞台があったから、歌を表現手段として選んだんだなーと落ち着いて受け入れられるようになってきたところで、ミュージカルらしい演出・ミュージカルを生かした展開が続いて、更に物語としてもミュージカルが絡むようにできていて、かなり納得させられる。

機械も人も、言うこと聞かない時は聞かないし

シオンと離れ離れになって母が自棄っぱちになった後のシーン。「止まって」と言っても止まってくれない目覚まし時計と、その後逃げ出した先のメガソーラー場の建物の上で「止めて」と言っても歌うことを止めなかったトウマ。人間は下手で歌詞も間違えたけど、目覚ましはそもそも鳴る時間を間違えているし「ご気分が優れませんか?」なんて的外れなことを言ってくる。人とAIの境はどこか。

柔道のシーン

サンダーの組み手に付き合うシーン、楽曲系で一番好きだったかもしれない。サンダーの学習結果と自分の記憶にあるミュージカルを引用してそれらを掛け合わせて相手をするという。差し挟まれる描写的にも歌詞的にもダンスを引っ張ってきて、組み手に対してAIなりの相似の認識がそれだったんだという説得力がある。シオンの表情も組み手というよりダンス引用なんだろうという感じで、「この組み手に色気はいらんだろ!」とちぐはぐだけどかなり魅力的。Jazzな柔道、とても良かった。

クラスメイト

シンプルだけど地に足ついているそれぞれの悩みがテンポ良く自然に解決していくのが鮮やかだった。AIの話やりつつとっちらからないのがすごい。アヤはデレたら本当に恐ろしい人。バイクのシーンで幸せそうな表情していたのが最高。トウマは本当に格好いい。

祈りは無駄に見えたとしても

幸せになってほしいからと卵の機械に命じてみたり。聞こえないのに歌ってみたり。仕事の邪魔をしたくなくて隠しごとをしたり。背を押すためにと歌ってみたり。幸せかと尋ねてみたり。ただの機械で幸せについて考えてみたり。それら全部、一本道で綺麗に上手くいかずに無駄に終わってしまったように見えつつ、ちゃんと「幸せ」につながっていたところが綺麗でぼろぼろ泣いてしまった。人間とコミニュケーションを取るAIが行き着きたいところは、人間に「幸せか」と問われるような存在だったりするのかもしれないとか思いつつ。

アイは遍在する

今はIoT/IoAに取って変わられた言葉だけど、ユビキタスなんて言葉がITで流行った時期があった。「いたるところに存在する・遍在する」という意味合いなのだけど、本映画のオチまで見た時に思い浮かんだ言葉がまずそれだった。シオンの名を得た意識は、生まれてから逃げ出してからずっと至る所に現れてはサトミの幸せを祈ってきて、またこれからもそうなのだろうなという。

アイは、AIで愛で私(I)らしい。意識として生まれて、サトミを想って逃げ出してから、ずっとその時々に持てるリソースで「歌って」きたわけで。時に電子音で、時にビープ音で、そしてシオンとしての声で、最後には、その音声データごと逃げ出した先の衛星からの電波の上で。今の私の歌声を。そういう意味での「私(I)」なんだろうと思いつつ。歌うことがシオンにとっての幸せの祈り方で、ずっとその時のやり方で祈り続けてきて。だから、アイは遍在する、的な。個人的にそういう纏まり方があった。

解決までの痛快さとか、説得力ある要素を積み重ね続けることで多少の突拍子なさもその要素だと言い張って通しちゃうところだとか、終わりまでの丁寧さやら何もかも完璧な映画だったなと印象。とりあえず雑感は雑感としてもう一回ゆっくり見てみたい。

ちなみに楽曲はもう配信中。見ると分かるけど、このパッケージは凄すぎる。

生活試行:

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